厦門にある世界遺産「鼓浪屿 (コロンス島)」は、まさに海上の花園!?!

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世界遺産に登録され、小さな島の中に「厦門デコ様式」と呼ばれる西洋式建築が立ち並び、「海上の花園」と讃えられる「鼓浪屿 (コロンス島)」。かつて阿片窟として恐れられ、「地獄」とまで呼ばれた「厦门岛 (アモイ島)」。そして近年は若者向けのオシャレな民宿が立ち並ぶ、(ほぼ) 常夏のリゾート。

そんな特色あるスポットを数多く抱える厦门 (アモイ) へと、この度旅行に行ってまいりました。観光するスポットには事欠かないし、シーフードは美味いし (もちろんお茶も有名)、台湾領土の金門島へは船でわずか1時間の距離だし、ほんと、遊びたい放題!のなんとも罪な街です。

ボクが旅行したのはどこの観光地も激混みとなる「春節」だったので、「天国」と呼ばれる鼓浪屿でさえ地獄絵図的に人だらけでしたが、、それでも十二分に旅を満喫することができました。この記事では、その時の厦門旅の様子をお伝えします。

INDEX

過去に租界地を有し、近年はリゾート地として賑わう「厦门 (アモイ)」とは?

厦门 (アモイ) は台湾の対岸の福建省の港湾都市で、深圳や海南島と同じく中国の「経済特区」に指定され外資系企業も多く進出しています。沖縄よりも南に位置し真冬でも最高平均気温17℃を記録するほど温暖で、近年はリゾート地としても人気を博しており、SNS映えを意識したオシャレ (&やたらと高い) な民宿が乱立しているほど。

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福建省はお茶の名産地として知られていますが、明時代の正徳年間にはここ厦门 (アモイ) を訪れた多くのスペイン人やポルトガル人が茶葉を購入し本国へと持ち帰り、世界各国に広がりました。

イギリスの東インド会社はお茶の買い付けを大量に行いましたが、中国語「茶 (chá)」は福建省や台湾で広く話されている閩南語 (ミンナン語) で「tay (tea)」と呼ぶことから、イギリスでは「tea」の名称が定着したということです。日本や諸外国で用いられる「アモイ / Amoy」の名前も、閩南語の「Ē-mûi (エームイ)」が転じて「アモイ (Amoy)」となったと言われています。

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現在でも厦门 (アモイ) のメインストリートである「中山路」や「鼓浪嶼 (コロンス島)」には西洋式の建物が数多く残っていますが、それはアヘン戦争 (1841年) でイギリス軍が厦门 (アモイ) を占拠し、翌年の南京条約により開港を迫られ、その後1862年にイギリス租界が、1902年には鼓浪嶼 (コロンス島)に共同租界が設置されたためです。

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1875年当時の鼓浪屿 (コロンス島) の様子

1938年には日本海軍が厦门 (アモイ) を占領し、1940年からは中華民国の国民政府であり、日本軍占領地に成立した親日政権である「汪兆銘政権」が厦门 (アモイ) を統治。1949年10月に中国人民解放軍が「解放」するまでの間、複雑な歴史を経ていったのです。

島全体が世界遺産、西洋風の街並みが残る「鼓浪屿 (コロンス島) 」

厦门 (アモイ) の最大の見所と言えば、島全体が世界遺産に登録された「鼓浪屿 (コロンス島)」。かつては「圓沙洲」「圓洲仔」と呼ばれていましたが、島南西部にある岩に波が当たると太鼓のように響くことから、明代から「鼓浪嶼」と呼ばれることになったそう。一日中歩き疲れ&人混み疲れのため、ボクはその岩を直接見に行こうとも思いませんでしたが…w

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その岩の近くのビーチ (と言うより”巨大な砂場”)

そんな鼓浪嶼は廈門島の南西の沖合い500mほどのところに位置する小島で、その距離は香港島〜九龍半島よりも近くに感じられるほど。面積2k㎡にも満たないほどの小さな島で、今でもフェリーでしかアクセスができません。

島内は車とバイクの乗り入れが禁止されているため、とっても静か。ですが、ピーク時は観光客がそこらじゅうに溢れ、食事を摂るのもままならないほど。。

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旧日本領事館 (現在は厦門大学の建物として利用されています)

租界時代には、ここ鼓浪屿に進出した西欧13か国が領事館を構え、商社や学校、教会などが次々にこの地に建てられました。また、1930年代には海外で成功を収めた華僑がこぞって島内に別荘を構え、その数は1000軒を超すと言われています。

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こうして、20世紀初頭にモダニズムとアールデコが融合して「厦門・デコ様式 (アモイ・デコ・スタイル)」が生まれ、その文化の多様性が高く評価されて2017年には世界遺産に登録される運びとなったのです。

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中心地にある西洋式建築のお上品な例
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でも、町外れの風景はこんな、、大阪の西成にでもありそうな雰囲気…

そんな美しい西洋風の街並みが数多く残された鼓浪嶼は「海上明珠」「海上の花園」讃えられていますが、かつては「鼓浪嶼は天国、厦門島は地獄」と言われていました。20世紀初頭に都市改革が行われるまでは、アモイはアヘンや賭博が溢れる危険な街として知られ、温暖であるがゆえマラリヤやデング熱も蔓延していたためです。

音楽がとても身近で、別称「ピアノの島」「音楽の島」

鼓浪屿は「ピアノの島」「音楽の島」とも呼ばれています。租界時代に欧米人によってピアノがここに数多く持ち込まれたことで西欧音楽の文化が育まれ、単位面積当たりのピアノ保有台数は中国一。今でも島内には有名な音楽学校があり、殷承宗 (殷誠忠) などの著名なピアニストを輩出しているためです。

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実際、街中にはライブで音を奏でるジャズバーがたくさんあったり、壁に有名な歌曲の歌詞がそこかしこで刻まれていたりします。中でも有名なのは周杰伦 (ジェイ・チョウ / Jay Chou) の『晴天』の「以前有个人爱你很久很久」のフレーズ。

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鼓浪屿と周杰伦の『晴天』にさぞかし深い関わりがあるんだろうと思い、調べてみると特に何の関係もないのだそう。。。(参考: 百度知道)  これが日本だったら、何かと世間を賑わすことの多いJASRACが目くじら立てて成敗しに来そうなもんです (-_-

日中ハーフでアジアの英雄「鄭成功」の記念館と巨大石像

日本人の母を持ち、「アジアの英雄」と呼ばれる鄭成功 (郑成功)。彼の記念館と超巨大な石像が、ここ鼓浪屿にあります。鄭成功は中国人海商の鄭芝龍を父に、平戸出身の日本人である田川マツを母に、長崎の平戸で生まれました。幼名は田川福松。

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鄭成功は明代の軍人で、21際の時には隆武帝から明の皇帝の姓 (国姓)「朱」を称することを許され、「朱成功」の名を賜ることに。それがゆえ、人々は彼のことを「国政爺」と呼びました。清の台頭によって危機にあった明を擁護し、ここ厦门 (アモイ)、すぐ隣の金門島に本拠地を構えました。その後、本拠地を台湾へと移し、当時占拠中のオランダ人を追放することに成功。それがゆえ、台湾のみならず中国本土でも「国民的英雄」とされているのです。

この鄭成功のサクセスストーリーは江戸時代に近松門左衛門の人形浄瑠璃『国性爺合戦』の中で描かれ、鎖国下の大阪では3年越し17ヶ月連続公演を打ち立て、街の8割の人が観劇したと言われるほど大人気を博しました。

さて、そんな鄭成功の記念館が島のど真ん中に、台湾奪回300年を記念して1962年に建てられました。この鄭成功記念館には彼の銅像、肖像、衣服、筆跡など様々なものが展示されています。が、鄭成功の母親が日本人で、ハーフであることはほとんど書かれていません。。実際、彼が日本にルーツを持つ人間であることを知る中国人は多くはないようですね。

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とまぁ、歴史にあまり興味がない人はわざわざここを訪れたいとは思わないかと思いますが、、記念館二階の回廊から見渡す鼓浪屿〜厦門島の景色 (上写真) は絶景ですので、ひとまず立ち寄る価値はオオアリです。

鼓浪屿を歩き回り、厦門島行きフェリー乗船前の「一番最後のハイライト」とも言える場所に位置するのが「皓月園」。面積2万㎡を誇る大きな公園で、ここには高さ15.7m、中国の歴史的人物の彫像としては最大と言われる鄭成功の彫像がそびえ立っています。

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あまりに巨大であるがゆえ、厦門島内の高速道路からも確認できる大きなオブジェなんですが、否が応でも「あれは誰だ!?」となる存在感を発揮しています。それをきっかけに「アジアの英雄」への興味を喚起することができるので、立派にその役目を果たしていますよね。

ピーク時は売り切れ必至! フェリーのチケット事前予約を!!!

島への唯一のアクセスとなるフェリーですが、便数には限りがあり、大型連休や夏休みなどのレジャーシーズンは、とにかく人が溢れまくるため、売り切れることも多々あり。ボクも島へ行く1日前に予約を試みてみるも、希望していた時間帯のチケットは全て売り切れており、かなり焦りました。。

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微信公众号から当日券を購入することもできますが、中国人の身分証が必須となるため、外国人は予約不可。我々ガイコクジンは、支付宝 Alipay や 微信支付 Wechat Payでの支払いができる人であれば、「厦门轮渡」のウェブサイトから予約することができます。
※緊急連絡先の記入に関してエラー表示される場合がありますが、一度戻って強引にやり直せばOKでした

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フェリー運行会社は数社あり、時間帯によって値段が変わり、2等席往復で35〜50元ぐらい。1等席のある便は限られていますが、値段は200元。オンライン予約を済ませた後、外国人はフェリー乗り場のチケット売り場窓口でパスポートを提示し、紙のチケットを受け取る必要があるので、時間の余裕を見てフェリー乗り場に行くようにしましょう。

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春節休み真っ只中ということもあって、乗船前の待合室は、ご覧のとおり、とにかく人だらけ。。フェリー自体は非常に小さいサイズですが、頻繁に便が出ているので、混んでいてもそれほどストレスはありませんでした。

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香港〜マカオ間のフェリー乗り場にどこか似てますね

まるで上海!?、西欧の街並みが残る厦門島のメインストリート「中山路」

鼓浪屿からフェリーに乗って厦門島に戻ってくると、波止場の目の前にあるのが厦門島のメインストリート「中山路」です。租界時代の歴史ある建物が数多く立ち並ぶ歩行者天国となっており、(道行く人を見ずに) 斜め上を向いて歩けば、まるでヨーロッパにいるかのような気分に。

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全長1250m続く美しい中山路は100年以上の歴史を誇りますが、それまでは前述のとおり「厦門島は地獄」と言われ、「世界で最も汚い街」とも言われていたそうで、見るも耐えない状態だったようです。アヘン窟として知られた上海の大世界 (ダスカ) 同様、今となっては想像もつきませんね。

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租界時代、鼓浪屿にはヨーロッパ各国の共同租界が置かれていましたが、イギリスと日本は対岸の厦門島にも租界を持ち、銀行や商社が次々に建てられ、賑わいを見せ始めます。日中戦争が始まると、手狭になっていた鼓浪屿から厦門島へと日本領事館は移転され、在留邦人も厦門島に住むようになりました。

なお、1939年7月には日本の傀儡政府である「厦門市特別政府」が成立した影響を受け、厦門神社が創建され、後に東本願寺や天理教会の姿もあったということです。

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現存する厦門神社跡 《厦门神社的遗址》by CQZheng

さて、そんな重みのある歴史を抱える厦門島ですが、今でもメインストリートであり続ける中山路には観光客が絶えず溢れかえり、道の両側には観光客目当ての飲食店や土産物がズラリを並んでいます。中にはSNS映えを意識した、オシャレな土産物屋「赵小姐的店 (下写真)」 などもあるので、「ザ・観光地」とは言え一見の価値あり。

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ここには厦門を代表する「華聯商厦」「巴黎春天百貨」などの大型商店が集まり、上海の南京東路歩行街とほぼほぼ同じ様相です。が、厦門のほうがまだ少し洗練されたような印象を受けました。なんというか、上海の南京東路は「田舎者向け」という感じで、どこか垢抜けてないんですよね。なんつーか、原宿みたいな。。

厦門の目の前にある台湾領土「金門島」(には行けなかった…)

厦門から東へわずか7kmの位置し、大陸側から容易に目視できる距離にある金门岛 (金門島)。厦門島より一回り大きい程度のサイズの島で、20世紀末まで中国共産党と台湾の国民党の間で度重なる砲撃戦が交わされ、今は台湾が実行支配する台湾領となっています。

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金門島x2と、右下に厦門  《空拍厦门岛、大小金门》by BreakdownDiode

それがゆえ、近年、中国と台湾との間でしばらく緊張感が漂っていましたが、2001年「小三通」のもと融和が進み、2002年に晴れて厦門〜金門島の間の航路が開かれました。それ以来、「大陸から船ですぐに気軽に行ける台湾」の観光地として人気を博しています。

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厦門の市内中心から東へ15〜20分ほどの距離に金門島行き専門のフェリー乗り場「五通客运码头 (五通フェリーターミナル)」があります。厦門からフェリーでわずか20分で台湾領に入り、1時間ほどで金門島に到着。するようです、が、ボクが行こうとした際はまだコロナの影響で、外国人はおろか、一般の中国人でさえ誰も乗船が許されていない状況でした。

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2023年2月当時、乗船可能なのは金門島出身の人間か、特別な許可証を持っている中国人のみ。フェリーは一日に一便しかない、という有様。写真を見ておわかりのとおり、チケット売り場やチェックインカウンターには誰も人がおらず、まるで廃墟状態。

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辛うじて開いていたのは、一階にある台湾の特産品を売る土産物屋だけ。定番のパイナップルケーキ、コーリャン (高粱酒) などを買うことができるので、乗船できなくとも台湾旅行気分を1%ほどは楽しむことができます (泣)

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ちなみに、この通客运码头の向かいにはアディダスなども入っているアウトレットがあり、飲食店も数多く入っているので、もしフェリーに乗れなかった場合はここでやけ食い&やけ買いして心を癒やしてくださいw

シーフードを食べまくり、厦門名物「沙茶面」を堪能!

海辺の街ということで、厦門に来たらシーフードを食べないわけには行きませんよね。とくに中山路からも歩いて行ける「八市」と呼ばれる「第八菜市場」にはとにかく大小様々なレストランや露店が軒を連ねていて、色んなものが格安で楽しめます。

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牡蠣好きのボクとしては、毎食とは言わずとも毎日牡蠣を食べないわけにはいきません。出来立ての牡蠣オムレツを路上で食べるのはホントたまりませんよね〜!

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また、厦門の名物といえば「沙茶面 (サテースープ面)」。インドネシアとマレーシア料理の影響を受けたヌードルで、サテーのソースを使った料理です。ボクも市内の老舗らしき店で食べましたが、特別うまいわけでもなく、可もなく不可もなし。一回食べれれば十分レベル、の名物料理でございます。

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厦門では人にも食べ物にも馴染めなかった「魯迅」

「現代中国文学の父」と呼ばれ、『阿Q正伝』『狂人日記』などで有名な作家、魯迅。彼は1926-1927年、中国文学部の教授として「中国で最も美しい大学」と言われる厦門大学で教鞭をとっています。

その当時、社会批判を行うことによって身の危険にさらされていた魯迅は、北京から厦門へやって来ましたが、この地に馴染めず、教え子で後に妻となる許広平のいる広州へと移りました。そんな苦い厦門時代の彼の「記録」が以下のように残されています。

この建物は海辺にあって、昼も夜も海からの風に吹きさらされています

思えば、まだ去年、厦門島に引っこもっていたころだが、ひどく人に嫌われて、とうとう『鬼神を敬して之を遠ざく』式の待遇を受け、図書館の桜上の一室に祭りあげられた

書籍『まちごとチャイナ福建省 007 厦門 ~ヤシの木揺れる「海上の美都」』(「アジア城市(まち)案内」制作委員会 · 2016)
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厦門島に位置する現在の厦门大学

魯迅は結局、厦門大学の校長である林文慶とは思想や予算に対する考え方でそりが合わず、また、食べ物も口に合わない、ということでわずか4ヶ月の滞在で厦門を去っていきました。どの時代にも上司とそりが全く合わない人がいるものですね。ま、でも歴史的な大作家に歯向かったがゆえ、それで自分の名を残すようなことはしたくないものです。。

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厦門大学にある林文慶の石像 《厦门大学文庆亭》by Angbinmarist

まとめ

厦門へは东山岛に立ち寄ってから来たのですが、こうやって改めて記事にして厦門のことを客観視してみると、特徴のあるキレイな建物が並ぶ鼓浪屿 (コロンス島) という世界遺産があり、台湾へもささっと気軽に行けてしまう距離にあり、新鮮でリーズナブルな海鮮が溢れ、オシャレな民宿もそこかしこにあるし、厦門ってなかなかなどうして結構なレベルの観光地です。

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ホリデーシーズンはとにかく人だらけで死にそうになるので、ゆっくりとじっくりと厦門の魅力を堪能するには (極力暑くない季節の) 閑散期を狙うとベター。連休ぐらいしか旅に行けない人は、鼓浪屿 (コロンス島) のフェリーチケットだけは事前予約することを忘れずに!

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鼓浪屿から厦门岛に戻るフェリー乗り場の様子

あと、とにかく歩く機会が多い街なので、それを覚悟してお出かけしましょう。また、観光地では中国人でも被害にあうスリやボッタクリも多いようなので、ご注意を!!!

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参考書籍
・立命館産業社会論集『厦門の魯迅と「尊孔」校長林文慶』住家正芳【リンク
・『まちごとチャイナ福建省 007 厦門 ~ヤシの木揺れる「海上の美都」』「アジア城市(まち)案内」制作委員会 · 2016

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