上海に残る、日本人の足跡を巡る旅② 映画『八佰』の舞台「四行倉庫」

四行倉庫 四行仓库 八佰

新型コロナ流行の影響を受け、最後まで再開が見送られていた映画館ですが、7月20日から徐々に営業を始めており、先日、公開初日に1億3400億元 (約20億円) の興行収入をあげて大ヒットした、話題の映画『八佰』を見に行ってきました。

この映画は「第二次上海事変」において最後の激闘が繰り広げられた「四行倉庫 (四行仓库)」での戦いを題材にしており、映画鑑賞後に早速、今も現存されている四行倉庫を訪問して参りました。

映画『八佰』(英題:The Eight Hundred)

中国人の間では、1937年の第二次上海事変の際に日本軍からの度重なる攻撃に屈せず、奮戦した中国国民党の守備隊「八百壮士」は英雄視されており、その様子を克明に描いたのがこの映画『八佰』です。

映画『八佰』予告編

まず、映画を見ての感想としては、反日映画だろうと半ば構えて見に行ったにも関わらず、実際は変な偏見やプロパガンダ的な要素もなく、単純に映画として良くできている作品だな、と思いました。人気俳優が数多く出演していることもあって、それで若い中国人のハートもガッチリ掴んでいる模様です。

さて、この映画は元々、2019年7月に上海国際映画祭で公開予定でしたが、“技術的問題”のために公開が延期され (オリジナル版から13分をカットされたそう)、また、コロナの影響ももろに受け、やっとこさ2020年8月21日に正式公開されたのであります。

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西蔵路橋からの景色 (左岸が旧租界地、右岸が四行倉庫) ※クリックで拡大

監督は中国で“第六世代”の一人とされている管虎 (Guan Hu)。構想に10年かけ、制作費5億5千万元 (約8000万ドル)を費やして作られた映画で、 リアリティを追求するために蘇州に13万㎡以上の巨大なスタジオを建設。68棟の建物に加え、映画の重要なエレメントである「川」まで作ってしまったとのこと。いやぁ、恐れ入ります・・・ 機会があれば是非とも実際に見に行ってみたいものです。

映画八佰の舞台「四行倉庫

この映画『八佰』の舞台となったのが「四行倉庫」。コンクリート製6階建てのビルで、当時の新拉扱橋 (今の西蔵路橋) の北西角に位置し、住所は上海市光复路1号 (光復路1号)。

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2020年現在の、対岸から臨む「四行倉庫」(右手は西蔵路橋 [昔の新拉扱橋])

1931年竣工で建築面積2万㎡を誇る建物ですが、その名前が指し示すとおり、四つの銀行 (金城、中南、大陸、塩業銀行) の連合倉庫として使われていたため、この名前が付けられました。

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四行倉庫は日中戦争中の1937年に起こった「四行倉庫の戦い」で、日本軍からの攻撃に耐えた建物として広く知られており、その歴史を後世に伝えるため2015年8月には「四行仓库抗战纪念馆 (四行倉庫抗戦記念館)」としてオープンしました。(改装中の様子は【秘境・上海情報】で詳しく解説されています) また、2017年には「中国20世纪建筑遗产 (中国20世紀建築遺産)」の指定を受けています。

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戦闘時は食料、医療品、砲弾・弾薬などが備蓄する倉庫として使用されていましたが、現在、この記念館では当時の戦いの様子や、八百壮士に関する資料が主に展示されています。しかしこの記念館も新型コロナ流行の影響をもろに受け、いま現在は完全予約制になっています。APP上からは外国人が予約できない仕様になっているので、我々外国人はしばらく外から見て楽しむだけですね。。残念。

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四行倉庫の戦い

では、実際に死闘が繰り広げられた「四行倉庫の戦い」はどのようなものだったのでしょう? 映画『八佰』では時に目を背けてしまうほど、えげつないほどリアルにその死闘の様子が描かれていますが、ここで簡単にご紹介します。

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出典:映画『八佰』

「四行倉庫の戦い」は1937年10月26日から11月1日にかけて行われた第二次上海事変における最後の戦闘で、蒋介石は中国軍が南京へ退却するための援護や時間稼ぎのためにこの戦いを行うとともに、上海の国際共同租界の前で行われている「日本の侵略」を世界にアピールするためにその様子をカメラに収めていたと言われています。

当時の様子 (出典:Wikipedia)

当初の兵員800名の中国軍 (実際には400名強) と日本軍は死闘を繰り広げますが、最終的には上海租界に住む外国人はすぐ側で壮絶な戦闘が繰り広げられているのを望まず、また、蒋介石も1週間の戦いで十分に国際的にアピールができたと判断したこともあり、10月29日に共同租界の外国人側から中国国民政府に対し、人道的観点から停戦の要望書が提出されます。

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旧租界地側から見る「新拉扱橋 (今の西蔵路橋)」

最終的には11月1日の夜半、中国軍は四行倉庫前の新拉扱橋を渡ってイギリス租界に向かい、午前2時までに撤退が完了し、四行倉庫の戦いは終わりを告げたのでした。

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四行倉庫側から見る「新拉扱橋 (今の西蔵路橋)」

まとめ

その後の太平洋戦争を経て、八百壮士の生き残り約100名は上海へ戻ってきましたが、最終的には何人かが台湾に渡りましたが、他方、大陸に残った者たちは文革の影響を受けて良い扱いを受けなかったようです。

しかし、いま、こうして映画『八佰』を通じて八百壮士に再度スポットがあてられ、また、戦争について、日中間の関係について考える機会を与えてくれたことはとても良いことだと思います。

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ボク自身は映画、そして今も現存する四行倉庫を通じて、戦争がいかに残酷で無意味であるかを再確認し、また、それがそんなに遠い過去の出来事ではないことを身にしみて感じることができました。

きれい事かもしれませんが、今こうして中国、そして中国人の方々と仕事をさせていただいている幸運、奇跡に感謝するとともに、自分は周りのサポートの上に成り立ち“生かされている存在”なんだなと思った次第です。

もっとディープな情報をお求めの方は、1975年に制作され、台湾の人気女優ブリジット・リン (林青霞) が主演した映画『八百壮士』(英題:800 Heroes) 、ならびに、当時の記録映像『Battle of Sihang Warehouse 1937 八百壮士 四行倉庫』をご覧になってみてください。

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